魔法という定義

魔法と魔術の違い

先ほどまで『魔術』という言葉に違和感を覚えていた人もいるのではないでしょうか。逆に『魔法』という言葉には非常になじみのある、直ぐにどんなものなのかということを連想することのできる人が多いのかもしれないでしょう。一般的にオカルト分野で魔法という言葉が一般的な言葉として利用されています。ではこの言葉に違いというものは存在しないと考えている人がいるかもしれません。実はこの『魔法』と『魔術』という言葉は使い方が似ているようで、実は異なる性質を持っているということをご存知でしょうか?知らない人からすれば初耳かもしれませんが、二次元というものに興味がある人からすれば馴染みのあることばでもあるこの二つの言葉、使い方によっては全く意味も使い方も異なっている可能性があります。ただ二次元においては『魔法』と統一して使っている作品もありますが、それは作者が独自のルールで制定している法則なので、ここで言うところの違いとは少し違った内容となっています。ここで話す違いというのはあくまで『一般的』な違いを説明していきます。

パワーストーンのひみつ

神秘を起こせるか否か

魔法とは、『magic』という単語が用いられるように一般的な魔法を連想します。魔法という言葉を使うことで神秘的なイメージが湧き出るように、この言葉はまさにその神秘に彩られた存在となっているのです。どういう意味か、それは『魔法』というのは種も仕掛けもない、正真正銘奇跡という言葉で表現できるような現象のことを指しているのです。例えを出して説明して行こうと思いますが、これは私が独自に考えている法則の中の説明となりますので、ご注意ください。

例えば一人の人間が死んだとしよう。心臓の機能が停止して、その後身体のありとあらゆる機能が完全に停止することで人間は肉体的に死を意味することになります。しかし私からすれば肉体的に死んでいてもその中身となる『魂』という存在がそこにまだ留まっていれば蘇生できると考えられます。実際に現代の医療現場においても心配停止してから7分間はまだ蘇生可能時間として認識されています、しかしその時間を過ぎれば圧倒的な数値で蘇るという言葉が遠くなります。魂という概念を信じるかによって変わってきますが、肉体的な死を完全に意味するとき、そこから魂という存在も消えることになります。そうすることで人間は初めて本当の意味で死んだと言うことになります。

完全に死んだ人間を生き返らせることは、現代の医術でも不可能です。ですが、魔法の力というものはそんな不可能という現実を塗りつぶして、一度離れた魂を空っぽの肉体に呼び戻す技術となりえるのです。ありえない話ですよね、ですが魔法という存在はそんなありえないという世界の法則を改変することの出来る能力のことを意味しているのです。当然ですが、そんな理を逸脱した力を人間が制御できるはずもないことはお分かりいただけたと思います。

一方で『魔術』というものは、定義されているような魔法とは異なってくるのです。それは何かしらの要因を用いることで、不可能を可能にしているということです。それは神秘ではなく、予め仕組まれた『奇跡』ということになるのです。例えばです、火を起こす技術があったとしましょう。昔でしたら火を起こす技術というものがなかった時代、起こせるだけでそれを神秘の力として認識している人もいたのではないでしょうか。しかし時代が進歩したことで火は誰でも簡単に起こすことの出来る当たり前の技術となりました。水を出すにしても事前に用意しておけば突然出現した思わせることも出来るでしょう、ですがそれは神秘とは程遠いものです。だからこそ、魔術と呼ばれるものをこうしている人は『手品師』と呼ばれています。

いかがでしょうか、二つの言葉には似て非なるもので、なおかつ圧倒的に超える事の出来ない壁があるのです。神秘という言葉の尺度は人それぞれですが、共通しているのは不可能を可能にする技術を欲するがゆえに人間の探究心が導き出した、一つの答えということになります。不可能を可能にしようと人ならざる行動を起こした人のことを狂人、はたまた変人と呼ぶ人いたでしょう。ですが彼らは成し遂げたかった夢があったからこそ、禁忌という名の束縛に捕われながら異端技術というものに手を染めることは出来ても、現実にどうしても乗り越えることの出来ないものがこの世に存在するということを知ったときは絶望したのかもしれません。

人間だけでなく、行きとし生けるものにとって『死』というものは決して逃れることの出来ない存在です。だからこそ、そんな肉体の終焉を意味する時間の駆逐から解放されたとき、人はようやく全ての意味で自由になれると考えられていたのかもしれません。そして『魔術』を行使している人々からしても、死を乗り越えることで初めてこの世の理、『根源』というものに到達することが出来ると考えていたのかもしれない。聞いたことのない人からすれば理解できない単語かもしれませんが、これは中・近代のヨーロッパではごく自然のように考えられていた事柄だったのです。人間そのものの存在に関わるような問題、考えるとなればそこに答えというものを見出すのは不可能ですから、だからこそ魔術師として活動していた人々は答えをずっと探していたのかもしれない。

魔術を使ってみたい件

フィクションの中での魔法定義

現実的な意味合いでの魔法というものは上記の通りになりますが、フィクションの題材として用いられている魔法というものはこの定義から大きく逸脱していることがあります。ゲームでは普通に使者の組成を可能にしたりするなど、現実では不可能な神秘を平然と体現して行ってしまえるという点では、明らかに現実の法則から逸脱しているものだといえます。ファンタジーだから良いだろうといえばそれまでですが、中にはそういった現実の定義をそのまま当てはめて魔術という存在を表現している作品も多くあります。これも全て書き手や表現する人の価値観で決まってきます。

ファンタジー作品で有名な『ハリーポッターシリーズ』においての魔法というものは、実に理想的な現実に存在していれば便利なものが表現されていると思っている。空を飛んだり、現実には想像しない動物達の交流を描いたり、または時間を戻したりと様々なことを行なっています。ですがここでもやはり共通していえることは人間が起こせるレベルの奇跡しか表していないということだ。こういったときフィクションなんだからもう少し誇張しても良いだろう、そう考える人もいるかと思いますがそれを良しとしない人も多いです。特にこういった魔法という概念に関して強いこだわりを持っている欧米諸国からすれば当然といったところでしょうか。

日本の作品において、魔法というのは少し過大表現されすぎているところがあると個人的に感じています。いくらアニメやゲーム、マンガだからといっても不可能といわれるようなことを表現しても夢を求める人はいないということだ。二次元だからといっても現実からかけ離れすぎている作品に関しても、あまりに尊大に描かれる魔法の存在を受け入れたくはない、そう感じている人が少なからずいるかもしれない。

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