東洋に伝わる魔術

陰陽道

東洋に伝わる魔術といえば『陰陽道』でしょう。ただその法則や原理といったものは魔術というものとは若干の違いが生じていることから、類似性はあったとしても同系統の中でもある種独立したものと考えたほうが良いかも知れない。そもそも魔術というのはその文化に住んでいることでより影響を受けることになります。魔術と文化というのは意外にも密接的な関係にあるので、魔術を語るときにはそういった国の本質を形作っている文化というものをおいて語ることも出来ないのです。ただし国として魔術を認めているか、ということと繋がっているわけでなく、あくまで文化的に関係性を持っているということになる。当然だろう、存在するかどうかもわからないようなものが肯定するということは、それは国を治めるという人間の上に何か別のものが存在しているということに他ならないのだ。古代の人間からすれば国を統治している王こそが自分たちを統べる神として崇めている中で、超常的なものが存在しているということを認めるようなことをしては、それまでに培ってきたものが一瞬の内に壊れてしまう。そんなことが出来るはずもない、だからこそ国としては魔術というものを異端としてみなして、西洋で言うところの異端者狩りということにつながっていくのです。

ですが、日本の場合の陰陽道に限っては、国がそれを一つの職業として認めて専用の施設まで作って、国で陰陽師の育成を行なっていたのです。そういう意味ではここが日本と西洋の違いというところでしょうか。西洋ではそのような魔術という異端を持っていること自体が悪とされ、また畏怖される対象でした。それはヨーロッパ地方が一つの巨大な宗教によって管理されていたことも関係しています。ヨーロッパ地方にとっては教会の意向こそが絶対であり、そして取らなければならないものだったからです。魔術という教会の意志に背くような存在をみすみす見逃すはずなどないのです、そして異分子を排除するのです。そうすればほとんどの人たちが穏やかに暮らせるようになっていくという仕組みを作り出したのです。こう考えるとよく作られたシステムですね、そして教会という存在は、現代でも有効に働いているということを見ると、教会としての地位は絶対的なものとして確立しているということになるわけです。

そういう点で考えると、日本では国が平安時代には陰陽師養成機関なるものを作り出したことで、国家公認の陰陽師が活動できるようにもなったということで現代でも発展してもおかしくはないのですが陰陽道に衰退という言葉から逃れることは出来なかったのであります。

パワーストーンのひみつ

陰陽道の廃止

歴史の変遷を繰り返していく中で、全盛期を迎えた陰陽道も様々な陰陽師を生み出したおかげで、日本の歴史の中で様々な人間見ることが出来ました。ですが、陰陽道も力や勢力を通して力こそ広めていくことは出来ても、その存在を全国的に広めるということが段々と難しくなっていきました。それだけ影響力が落ちて言ったということになるのかもしれませんが、陰陽道と言っても安部と賀茂の二大勢力とが闘争を繰り広げることで、それぞれの力が弱体化していくことになっていったのです。戦国時代にもなればその影響力は全盛期自体とは比べ物にならないほどに衰退の一途を辿ることになったのです。

その後江戸時代になったときには江戸幕府が陰陽師の行動を統率するという目的から、安部陰陽道の宗家に当たる『土御門家』と賀茂陰陽道の分家である『幸徳井家』を再興させることで諸国陰陽師を支配して行こうとする動きもあったのです。その後土御門家は幸徳井家を支配することに成功すると、それからは全国に散らばっている様々な流派の陰陽道の統一に成功していき、その力を絶対的なものへとしていったのです。この時には土御門家は日本社会の中で根付いている陰陽道の頂点に立ったのでした。

ところがそんな土御門家が一気にその地位を奪われることになるのです。大政奉還、これによりそれまで鎖国国家としての地位を維持し続けていた日本は諸外国との交流を差し迫ることになり、江戸という文化が終わりを告げて明治維新という新たな時代の夜明けを迎えることになったのです。そしてその夜明けは同時に、陰陽道に夜更けの意味を提示していたのです。それまで陰陽道に対して疑問を投げかけていた人間たちが、陰陽道は信用できないとして迷信として機関としての機能そのものを廃止・奪うことにしたのだ。それからは衰退の一途を辿ることになった陰陽道も、土御門家などの家紋が名残をとどめる程度にまで追い詰められることになったのです。

魔術を使ってみたい件

鎖国国家

どうして日本では明治時代まで陰陽道を信じることができたのかというと、一つの可能性として提示できるのは鎖国だろう。鎖国しているとき、日本は頑なに諸外国との交流を持たないように務めてきた。時にはペリーのように開国を迫るような動きも見られていたが、基本的にほとんどの国との交流を持たないようにしていた。これはつまり日本独自の文化が強く発展していく要素として機能し、それが陰陽道という魔術的な存在が江戸時代まで広く信じられていたということに繋がっていくのです。ですがこの頃となると、すでにヨーロッパ地方では教会という大きなコミュニティが完成したことで魔術は異端な存在として蔑まれることになり、魔術なるものを行使する人は皆ひっそりと活動することになりました。そしてそんな魔術という存在を否定できるような出来事がヨーロッパで発生した、それが産業革命です。

産業革命の登場によって、それまで実現することの出来なかった現象を科学という新たな技術の誕生によって可能となったことが魔術という文化の衰退を意味することになりました。科学の台頭によって大抵の現象を説明することが出来るようになり、またそれに対しての対策を講じることも出来るようになったとすればもはや誰もが魔術を行使する人間に対して胡散臭いと認識してしまう。

ですがこういった一連の流れを日本が受けるには少し時間がかかったのです。その分日本の陰陽道は明治になるまでその地位を延ばすことも出来た上に、日本に滞在している人からすれば陰陽道というものは本当に素晴らしいものだと認識したので、若干の衰退があったもののその存在はずっと信じられていたのです。

残念ながら明治維新と共に陰陽道は政府からその存在を否定されるように弱体化が急速進行してしまい、その後は陰陽道そのものを行使することが日本においても全面的に異端的な存在であると認識されるようなったのです。

文化の衰退というものは早いですが、それに応じるように魔術の衰退というのもすごい速さで忘れ去れてしまいます。何だか切ないものです。

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